忍者と中野 〜藤田西湖と中野〜 前編

忍者と中野 〜藤田西湖と中野〜 前編

忍者と中野 〜藤田西湖と中野〜 前編

文:習志野青龍窟(ならしのせいりゅうくつ)

2026.01.15

忍者と中野 〜藤田西湖と中野〜 前編

習志野青龍窟(ならしのせいりゅうくつ)と申します。

私は日頃から忍者や武術の研究・稽古を行なっている者です。最近では忍者に関する本を出版したり映画やドラマの忍術監修にも携わったりしています。中野区内の道場をお借りして、忍術に関する教室を行なっているご縁で、本稿の筆を執る運びとなりました。

皆様の「え?忍者ってどういうこと?」という心の声が聞こえてきそうではありますが、この記事を開いた時点で術にかかったと思ってもらい、いったん疑問符を横に置いて、読み進めていただきたいと思います。(私の活動の詳細については今後お伝えする予定です。)

「中野と忍者に何か関係があるものはありませんか?」

これが本稿の依頼内容でした。

「実は江戸時代の中野には忍者屋敷があって、幕府の隠密たちが修行していたのです!」

…といった感じに、わかりやすいお話ができたらよかったのですが、残念ながらそういった歴史は中野では見つかっていません。ですが、中野と忍者について少しばかり興味深い話があります。

最近、まことしやかに囁かれる「日本軍のスパイ学校で忍術が訓練されていた⁉︎」という都市伝説の真実についてお話ししたいと思います。

皆さんは中野セントラルパークや明治大学中野キャンパスがある場所に、かつて大日本帝国陸軍による秘密戦士(今で言うスパイ)の養成機関があったことをご存知でしょうか。現在でも東京警察病院の敷地内の一角にあります跡碑から、その痕跡を伺い知ることができます。

東京警察病院の敷地内にある陸軍中野学校の跡碑(写真:中野区観光協会)

ことの始まりは昭和12年頃。戦争形態が変化する世界情勢の中で、陸軍省内において、秘密戦(諜報活動・スパイ活動)の重要性が説かれます。その結果、翌年には「防諜研究所」が新設されました。その後、沿革あり昭和15年に改名し、昭和16年には参謀本部直轄の軍学校に転身。その存在は陸軍内でも極秘とされた施設がありました。それが日本のスパイ養成機関として知られる「陸軍中野学校」の始まりです。(以下、中野学校)

中野学校での教育は通常の軍で行われるものとは大きく異なりました。例えば、敵性語として英語の使用が憚られていた時代に、むしろ諜報には外国語の習得が不可欠という事で、英会話が推奨されたり、当時の世間とはまるで違う価値観が教育されていたのです。戦後になって、卒業生の証言などから徐々にその存在が明らかにされ、昭和41年には人気俳優の市川雷蔵の主演による中野学校を題材にした映画が公開されるなど、特殊なスパイ教育のあり方が広く知られることとなりました。

現在でも都市伝説的にこの逸話がSNSやYouTubeなどで人気を博し、中野学校でのスパイ教育について玉石混交で語られています。

その中で、ひとつ不思議な話を耳にします。
それは「中野学校で忍術が学ばれていたのだ」
というものです。
そんなものは作り話だとお思いの方や、忍術なんて荒唐無稽なものをやっていたなんて馬鹿馬鹿しい、とお思いの方もいることでしょう。
しかし、結論から申しますと、この話は本当なのです。

中野学校で忍術が学ばれていたことは、すでに一部の業界の人間には知られていたことではあったのですが、2012年に『後方勤務要員養成所乙種長期第1期学生教育報告』の発見、つまり中野学校一期生の卒業報告書が発見されました。指導された忍術の内容が公的な資料で裏付けられたのです。

このニュースは新聞報道などでも大きく取り上げられ話題となりました。

では、いったいどんな人物が忍術を指導していたのでしょうか。

ここで、登場するのが「藤田西湖(ふじたせいこ)」という人物です。本名は藤田勇治。甲賀流忍術十四世を称し、明治から昭和の時代を生き抜き、「最後の忍者」と呼ばれました。多芸に秀でた人物で、幼少より画業も行なっていたため、「西湖」の名はその画号であったといいます。

まずは、どんな人物か藤田の著作にありますプロフィールから見ていきましょう。

「明治32年8月13日東京浅草生まれ。6歳の時喧嘩で11名を傷つけ、寺にあずけられたが、後寺から放遂、修験道行者について修業。7歳の秋、千里眼能力者として福来博士に見出された。その後甲賀流忍術13生祖父並に南蛮殺倒流2世橋本一夫斎等にき、拳法、柔術、剣術、槍術、長刀、棒、十手、捕縄、手裏剣術などの武芸を学ぶ外それぞれの師匠につき茶道、生花、音曲、舞踊、書画、彫刻を学んだ。大正3年早実卒後、早大、中大、明大に学んだがみな乱暴のため放校。同8年日大宗教科卒業、その間、報知、日日、やまと、国民、中外等の新聞記者をはじめ、柔道、剣道等の師範も兼ねる。大正11年から陸軍戸山学校、陸士、陸大、海大等の教授を歴任。甲賀流忍術14世、南蛮殺倒流第3世、心月流手裏剣術、大円流杖術、一伝流捕手術師範、日本空手道会顧問、日本古武道振興会常任理事、武術研究所長等に任ず。戦後テレビ等で忍術の紹介につとめたが、昭和40年1月4日宿病のため死去。」
(引用:藤田西湖『甲賀流忍者一代記』東都書房、1968年、 背表紙)

出自や経歴に関して、著作により揺れがあり、謎も残る人物ではあるのですが、そうした詳細についてここでは言及しないこととして、概略をご紹介するに留めますが、それにしても、プロフィールを一見しただけで、お腹いっぱいになる情報量です。

余談ですが、私は日本大学哲学科の出身なのですが、藤田の卒業した日本大学宗教科はその前身に当たります。つまり、私から見て忍者界の先輩であると同時に、大学の先輩でもあるわけです。そうした意味でも個人的に武縁を感じています。

後編では、この藤田西湖による俄には信じがたい、修行エピソードの数々をご紹介したいと思います。

このコラムについて

ライター 習志野青龍窟(ならしのせいりゅうくつ)

本名、五十嵐剛(いからしつよし)。
1988年、東京都生まれ。
日本大学文理学部哲学科卒。
幼少より武道や格闘技を学ぶ。
最後の忍者と呼ばれる甲賀流伴党21代目宗家の川上仁一氏の教えを受け、忍術傳書などの史料研究にとどまらず、古来の歩法、呼吸法、鍛錬法、戦闘術、食事法などを自ら実践することで忍びの実像を解き明かそうとする姿勢が高く評価されている。
国内外のメディアに多数出演。今に役立つ温故知新の心身運用方法を忍術教室や各種イベントを通じて指導するなど、日々忍道の普及に努めている。

忍道陰忍五段師範。
甲賀流忍者検定上級。
松聲館技法研究員。
国際忍者学会会員。
甲賀忍術研究会会員。
関口流抜刀術東京稽古会主催。

著書
「忍者の秘伝 リアル修行帖」2025(BAB ジャパン)
「忍者の技術解剖図鑑」2025(エクスナレッジ)

関連リンク

引用元・参考文献・参考ページ

藤田西湖
『法術行り方繪解』(修霊鍛身社、1928年)
『忍術秘録』(千代田書院、1936年)
『最後の忍者どろんろん』(日本週報社、1958年)
『甲賀流忍者一代記』(東都書房、1968年)

斎藤充功
『証言陸軍中野学校:卒業生たちの追想』(バジリコ、2013年)