忍者と中野 〜藤田西湖と中野〜 後編

忍者と中野 〜藤田西湖と中野〜 後編

忍者と中野 〜藤田西湖と中野〜 後編

文:習志野青龍窟(ならしのせいりゅうくつ)

2026.01.15

忍者と中野 〜藤田西湖と中野〜 後編

前回に引き続き、この中野の地に実在した「陸軍中野学校」で忍術を指導したという「藤田西湖」について、その驚くべき人物像を著作の引用とともにご紹介したいと思います。さっそくこちらをご覧ください。忍者としての足の鍛錬についてです。

「足の甲で歩く練習である。つまり足先きを内側に向けて、甲を下にして歩く方法だ。これがまたすこぶる痛い。足首の関節がいまにも挫けそうな痛み方である。」
(引用:藤田西湖
『最後の忍者どろんろん』日本週報社、1958年、 p45)

写真提供:小田原市立中央図書館所蔵資料より ※著書掲載写真の直接転記はできなかったため、図書館に寄贈されている同一写真について使用許可を得て掲載
「藤田の写真と同系統の稽古をする著者。藤田は足甲歩きというもの。こちらは足先(そくせん)歩き。(写真:習志野青龍窟)」

画像を見ると足首がすごい角度になっていますね。
私もこうした訓練も含む伝統的な忍者の訓練をしますが、正しい指導のもとで行わないと怪我をしますので、懸命な読者の皆様は真似をしない方が良いです。立っているだけでもキツイですが、これで歩くのは更に厳しいものがあります。足を武器として強固にする意味や、屋外で足を挫かないための訓練でもあります。

続いては、大酒や大食についての驚くべき記載です。

「忍者は酒をのむのは五合から二升くらいまでを「酒を嗅ぐ」という。三升から五升までをなめるといい、五升から一斗までを、いくらかのむといい、一斗五升以上を大酒といつている。私も大食では、天どんなら八杯、カケそば二十五杯、酒八升五合、タバコ十箱というレコードを持っている。タバコをのむときは、鼻からのむ。鼻から吸うとニコチンが完全に胃や肺に吸収されて、口から吸うよりニコチンの毒が多いわけである。」
(藤田西湖・前掲書、p66)

酒「八升五合」とありますから、およそ15.3リットルものお酒を一度に飲んだことになります。信じがたい話ですが、次の写真を見ると、そうした話を納得させるだけの説得力があります。

「血のにじむ体力練磨 なお忍術者は、敵にとらえられて持間にかけられる場合も多いと考えなければならぬが、そんなことで音をあげてしまっては、忍者としての使命が果せるものではないから、大概のことには平気で耐えられるように、そのためには日頃からずいぶん思い切つた練習をする。その一つとして私が試みたのは、身体に針を刺すことで、これは畳針大のものを顔面から耳、舌、全身へ五百本も刺したレコードがある。とても痛くて苦しいことのようだが、思い切つてしまうと何でもなく平気でやれる。舌に針を刺したまま、人と話をするぐらいは造作ないことである。また、五体を強健にする特殊の練方法としては、八貫匁(約三〇キログラム)から十五、六貫くらいの鋼鉄の分鍋を振って、自分の胸部を打つこともある。私は十八、九歳くらいの時から、これは二十年以上、毎日のように続けたものだ。」
(藤田西湖・前掲書、p67)

写真提供:小田原市立中央図書館所蔵資料より

 

写真提供:小田原市立中央図書館所蔵資料より

こうした脅威の鍛錬が対外的なパフォーマンスであったであろうことを差し引いても、特異な身体と精神の能力を持つ凄まじい人物であったことがお分かりいただけると思います。明治から大正時代かけて、超常的な現象を起こす、心霊術や催眠術といったジャンルのブームが起こるのですが、藤田はそうした方面の専門家でもあり、大正末期には立川文庫の「猿飛佐助」などの忍者作品による忍者ブームにも乗る形で、超人的能力を披露する忍者パフォーマンスでも知名度を上げていきます。世相や流行を捉えるのは、まさに忍術と言えましょう。

このようにして武術界、宗教界、政界、軍部といった幅広い方面に人脈を広げたのです。そしてついに、前回より述べてきました中野学校での講師として白羽の矢が立ちます。

「昔から伝統の甲賀流忍術は、ここに新時代の創意と工夫が加味され、堂々と国家のお役に立つこととなつたのである。」
(藤田西湖・前掲書、p222)

「私が関係したのは十六年の初めごろまでであるが、担当したのは精神教育と術科および体術、護身術の面で、術科は家伝である甲賀流忍術を現代戦に活かすことであつた。術科の授業を始めるに当つて、私はいつも次のようにのべた。忍術の修行がスポーツや他の武術と異る点は、修業の目標のおき方にある。スポーツにしろ他の武術にしろ、その目標は、これまで誰かが達した最高記録にあるが、忍者はその最高記録を最供段階として修行を始める」
「忍術の忍は忍耐の忍であること、精神上の忍耐、肉体的な忍耐を本領とすることを教え、体の基本的な狭から始めた。むろん一人前の忍者になるためには、幼少から練磨しなければならないので、普通の人間を、わずか六カ月で鍛えなおすことはできないが、それでも、もともと粧ぞろいの生徒たちであるから、案外、期待以上の効果はあがつた。」
(藤田西湖・前掲書、p226)

具体的な指導内容については、体術や甲賀流忍術の秘伝に類する技術、鍵の開け方から毒薬の製法、ひいては殺人術まで指南したといいます。こうして藤田は国家の組織で正式に忍術を指南したという意味において、「最後の忍者」と言われたのです。

藤田は晩年まで活動を続け、戦後にも各種メディアに積極的に出演しています。ラジオ番組を持っていたり、少年誌の忍者コーナーの監修をするなど実績は多岐に渡ります。収集していた膨大な武術や忍術の秘伝書といった資料は没後、遺族によって武術関連のものは小田原に、忍術関連のものは伊賀に寄贈されることとなり、現在でもその一部を見ることができます。

皆様も陸軍中野学校があった場所を通りかかった際には、近代史の1ページとして、最後の忍者に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

このコラムについて

ライター 習志野青龍窟(ならしのせいりゅうくつ)

本名、五十嵐剛(いからしつよし)。
1988年、東京都生まれ。
日本大学文理学部哲学科卒。
幼少より武道や格闘技を学ぶ。
最後の忍者と呼ばれる甲賀流伴党21代目宗家の川上仁一氏の教えを受け、忍術傳書などの史料研究にとどまらず、古来の歩法、呼吸法、鍛錬法、戦闘術、食事法などを自ら実践することで忍びの実像を解き明かそうとする姿勢が高く評価されている。
国内外のメディアに多数出演。今に役立つ温故知新の心身運用方法を忍術教室や各種イベントを通じて指導するなど、日々忍道の普及に努めている。

忍道陰忍五段師範。
甲賀流忍者検定上級。
松聲館技法研究員。
国際忍者学会会員。
甲賀忍術研究会会員。
関口流抜刀術東京稽古会主催。

著書
「忍者の秘伝 リアル修行帖」2025(BAB ジャパン)
「忍者の技術解剖図鑑」2025(エクスナレッジ)

関連リンク

引用元・参考文献・参考ページ

藤田西湖
『法術行り方繪解』(修霊鍛身社、1928年)
『忍術秘録』(千代田書院、1936年)
『最後の忍者どろんろん』(日本週報社、1958年)
『甲賀流忍者一代記』(東都書房、1968年)

斎藤充功
『証言陸軍中野学校:卒業生たちの追想』(バジリコ、2013年)

写真提供:小田原市立中央図書館所蔵資料