「名曲喫茶クラシック」の記憶を辿って(ルネッサンス後編)

高円寺、名曲喫茶「ルネッサンス」の檜山さんへのインタビュー(後編)

高円寺、名曲喫茶「ルネッサンス」の檜山さんへのインタビュー(後編)

文:山本真梨子(中野区観光協会)(取材・撮影)

2026.02.25

良子さんの突然の死、クラシック閉店とルネッサンス開店

檜山さんはクラシックが大好きで、一生ここで週払いで働くんだと思っていた。だが、20代前半で一度クラシックを離れ、ニューヨークに3か月滞在する生活を約8年間も繰り返した。

クラシック時代の思い出を語る檜山さん。

「ニューヨークでは、毎日チャイナタウンに行っていました。観光というより、街にいる感じが好きだったんです。日々中華を食べてました。あの頃は一番治安も良かった時代かな。夜中に電車に乗っても全然平気でした。」

その後、お客としてクラシックに通っていた2001年、良子さんから再び声がかかる。バイトがみんなやめちゃったから戻ってほしいと。8月はエアコン代削減のため、店は1ヶ月夏休みだった。この間に面接をして9月1日から新しいスタッフと一緒に再スタートすることになる。

ところが翌2002年の元旦、良子さんは突然亡くなった。前日の大晦日、店の3階で紅白を見ながらお酒を一緒に飲んだ。良子さんはお酒が大好きな人だった。年越しを楽しく過ごした翌朝、良子さんは目を覚まさなかった。

そこから意外な展開が待っていた。
店には借金が残っており、弁護士が管財人となり、返済が終わるまでオーナー不在で営業を続けることになったのだ。新しく雇われたバイトたちの中で、檜山さんが一番の経験者だったので、バイトリーダーのようなかたちで店を運営していった。バイトへの給与体系や日常業務は、それまでとほとんど変わらず、弁護士がお金の管理をするものの、檜山さんが給料を計算してバイトのみんなに渡していた。

その後、借金を返し終わり、2005年1月31日、クラシックは閉店する。

「閉店後も、取り壊されるまで何度も中を見に行きました。はじめは自分でお店をやるなんて思ってもみなかったんですが、お店が取り壊される実感が出てきてから、なんかやろうって思うようになって。」

美作さんと親交の深かった阿佐ヶ谷にある名曲喫茶「ヴィオロン」の寺本さんと共に椅子やレコード、備品の一部を分け合って引き取った。絵画はオークションにかけられ、そのうち気に入っていた一枚だけを購入した。持ち出した物は自分の家には入り切らず、兄の家の一部屋を借り、ブルーシートを敷いて、2年ほど保管してもらった。何度も見に行っている間、解体工事の方がこんなの出てきたけどいる?と聞いてくれて、貰い受けるものもあった。

オークションで手に入れた1枚の絵画もルネッサンスに飾られている。

取り壊し直前、中野周辺の一帯が冠水するほどの豪雨に見舞われた夜があった。その日もクラシックを見に行ったのだが、ものすごい豪雨で太ももまで水に浸かりながら歩いて帰ったという。

「クラシックを壊すから、良子さんが『怒ってるね』と言っていたのを、なぜかよく覚えています」

クラシック閉店後、すぐに店を始める決断をしたわけではなかった。でもバイト仲間と一緒にやってみようとなって、物件を探し始めた。中野は家賃の問題で断念し、中央線沿線を中心に探してみた結果、高円寺の物件に決めた。荻窪や他の中央線沿線も考えたが、なるべくクラシックの近くがいいなと思っていた。

紆余曲折を経て、2007年、高円寺に「ルネッサンス」をオープンする

 

ルネッサンスの入口。地下へ降りていくと懐かしいクラシックの景色がある。

「ルネッサンスはクラシックを継いだ店ではありません。ただのアルバイトで親戚ではないので、名前を引き継ぐのはなんか違う。元々美作さんが高円寺でルネッサンスをやっていたので、その名前をいただくことにしました。」

内装工事の時には、クラシックから引き継いだ家具などを移設して、店内の設計も段差をつけてみたり、なるべくクラシックの時代の雰囲気が出せるように工夫をした。

「最初は、クラシックみたいな雰囲気になればいいなと思っていました。でも、やってみたら全然違いました」

クラシックの内装をイメージして、段差をつけたルネッサンスの店内。

開店当初は試行錯誤も多かったという。おしゃべりを許可すると声が大きくなりすぎたり、マナーの問題が生じたりもした。ドトールのコーヒーを持って入ってくる人もいて、最初は戸惑った。話し声が大きくなると、音楽が聞こえなくなる。雑然とした空気を許容しようとすると、別の問題が生じる。靴を脱いで座る人、他店の飲み物を持ち込む人、長時間居座る人。そんなひとつひとつに対応しながら時間をかけて、店の雰囲気は自然と異なるものになっていった。

「どこまで許すか、どこで線を引くか。その調整に時間がかかりました」

結果として、ルネッサンスは静かな店になった。明確に「静かにしてください」と掲げているわけではないが、空気としてそうなっていった。

「今は落ち着いて、ちょうどいい感じだと思っています。クラシックは、あの場所と時代と人が重なって成立していた店です。同じものは、別の場所ではできない。ルネッサンスは、後を継いだというより、記憶が形を変えて続いているだけだと思っています」

特別なことを強調するわけでもなく、檜山さんはそう語る。
「ただ、続いている。それで十分です」

受け継いだレコードたち。
受け継いだリクエストブック。
オーディオは新しいものを導入、レコードにそっと針を下ろす。

現在ルネッサンスで出されているコーヒーは、クラシックの時の仕入先であった、中野にある折原コーヒーにクラシックのブレンドを再現してもらい仕入れている。ただし、味は全く違う。

「バイトはクラシックでコーヒーなんて飲みませんでした。だってコーヒーは美味しくないって分かっていて。たいていは紅茶を飲んでましたね。」

当時は巨大な寸胴に大量のコーヒーを入れて、グツグツと煮出していたそうだ。コーヒーの仕込みはラーメンの出汁を取るみたいな力仕事だった。

寸胴で大量のコーヒーを仕込んでいた。(写真提供:ルネッサンス)

「今はドリップできちんと出しています。だからクラシックのコーヒーよりも美味しいですよ」

私は当時クラシックに行くときには、近くのコージーコーナーで買ったケーキを持ち込んで、コーヒーを頼むのが定番だった。持ち込み自由、おかわり半額だった記憶がある。確かに、コーヒーを美味しい、と思ったことはなかった。

それでも、軋む床、ボロボロのソファー、自分を含めて昼間から何をやっているのか分からないお客さんたち、愛想の良くないアルバイトのお姉さん、あの薄暗いカオスな空間は日常から切り離された不思議な場所だった。

「そうそう、クラシックはなくなって今は薬局になってますけど、隣との仕切りの壁は今もそのままだと思います」

かつてクラシックがあった路地。
クラシックが存在した時から残るブロック塀

現在は当時のバイト仲間のお店も営業

現在ルネッサンスでは、バイト時代の仲間の入江美貴さんが「解」という古着屋をお店の一角で、週に数日営業している。

1920s-1990sのレディースヴィンテージが中心 ・手仕事の跡や、素材の質感が伝わるものを中心にセレクト
入江さんが単純に「良い」と気に入ったものを置いている
古いパーツを使ったオリジナルアクセサリーや、リメイクアイテムも制作販売

檜山さんが、お店の一部分で古着屋をやってみないかと入江さんを誘ったのがきっかけで「解」ははじまった。 もともと古着や手仕事が好きで、リメイクやアクセサリー作りをしていたので、ルネッサンスの空気感なら、自分が好きなものとも馴染むのではないかと思い、始めることにしたという。独自のルートで仕入れる世界各地のヴィンテージの商品は、確かにルネッサンスの雰囲気にぴったり。中には100年も前のフランス製のコットンの服に手仕事で刺繍を施したものなどもおいてある。

「解」の営業日時はインスタグラムで確認してください
(「解」営業日は入江さんの接客が受けられます。ルネッサンスの営業日は商品の試着や購入はできますが、接客は受けられません)

https://www.instagram.com/kai_koenji

名曲喫茶ルネッサンス

名曲喫茶ルネッサンス

名曲喫茶ルネッサンス
営業時間:13:00〜19:00 (現在不定休のため、XなどSNSを確認してください)
〒166-0003 東京都杉並区高円寺南2丁目48 堀萬ビル
03-3315-3310

https://x.com/renaissance2007
https://www.instagram.com/cafe_renaissance_2007/

「ルネッサンス」営業日:クラシック音楽・基本的におしゃべりNG
「解」営業日:クラシックでない音楽・おしゃべりOK

今でも語り継がれる「クラシック」

檜山さんからは、クラシックの90年代〜2000年代前半のお話を聞かせていただいた。

戦後から2005年まで、時代の変化と共に中野の路地裏に存在したクラシック。地元の人にクラシックの話を聞くと、みなさん良くも悪くもそれぞれの思い出を持っているのが面白い。お店はなくなってしまったけれど、その時代の人たちの記憶の中にはあのカオスがまだまだ存在しているようです。

クラシックのマッチ、檜山さんからいただきました。

取材・文・写真 /山本真梨子(中野区観光協会)

このコラムについて

取材協力 名曲喫茶「ルネッサンス」の檜山さん
インタビュアー 中野区観光協会 山本真梨子