
中野で忍者 前編
前回の「中野と忍者」では、中野地域と忍者にちなんで、昭和最後の忍者と呼ばれた藤田西湖氏についてのお話をさせていただきました。
皆さんはここまでディープでマニアックな忍者の話に付いて来られたのですから、ますます忍者に興味が湧いていることと信じ、より深遠な世界へと、ご案内したいと思います。
ここで、私が直面している忍者界の問題に、皆さんも巻き込んでみたいと思います。
忍者界との出会い
私が仕事として忍者に触れたのは2009年頃。外国人観光客向けに忍者文化を紹介するツアーのインストラクターの仕事からキャリアが始まりました。この時に入門した忍者団体は、東京北区は田端の商店街の一角にありました。小さい道場ながらも、都内でのインバウンド向け本格忍者体験事業としては先駆的存在とも言えるもので、世界中から本物の忍者に会うことを期待するお客さんが訪ねてきました。ここでの見習いの期間に、忍者と聞いて皆さんもイメージするような基本的な武器などの名称や使い方を学んでいきました。
その後の数年間、世界中からやってくるお客さんとの出会いの中で、さまざまな経験を積むことになります。
お客さんといっても、旅行客に留まらず、軍人や武術家、世界的企業の重役から映画スターまで、普段なら絶対に出会えないような方々に忍者体験を提供・ご指南する役目でした。
こうした活動を積み重ねる内に、お客さんからの忍者に関する質問に対して、より詳しく正確に、論拠を持ってお答えできるようになりたいと思うようになっていきました。
その後、独立し、個人で活動する様になってからは、世に出ている忍者解説本を読んだり、忍術書の翻刻本を勉強したり、国際忍者学会に入会したり、甲賀流忍者検定を受験するなどして、知識としても忍者のことを深く学んでいきました。
全ては本当の忍者のことについてより深く知り、自分でも体現できる様になりたいとの思いからでした。
このような忍者活動を経て、現在『忍道』の師範という大役を仰せつかり、中野にある道場をお借りして指導をする運びとなりました。(忍道の活動ついては後編で詳しく述べます。)
忍者の業界に長くおりますと、色々な問題にぶつかります。史実としての忍者像とイメージの忍者像の対立もそのひとつです。例えば手裏剣を例に挙げてみましょう。

忍者と手裏剣
「忍者と言えばコレ!」というものは何ですか?
皆さんの脳裏には手裏剣をシュシュシュと飛ばす忍者の姿が思い浮かんだのではないでしょうか。
誰しもが当たり前に知っているつもりの手裏剣ですが、あなたがもし外国の友人に「忍者の手裏剣について詳しく教えてください!」と真剣に問われたら何と答えますか?
手裏剣はその星型のイメージから海外では「ニンジャスター」などとも呼ばれます。
映画や漫画などの作品の中にたびたび登場し、忍者の武器として世界中で知られるものです。ですが、その詳しい内容は日本人であっても案外、知られていないものです。
歴史的に紐解きますと、手裏剣術自体は武術として非常に古くからあるのですが、忍者との関係を示す史料は、残念ながら「ほとんどない」のが現実です。
ほとんどないとはいえ、とある江戸時代初期に編纂された忍術書の中に「手裏剣」の語は僅かながら出てきます。
しかし、それは一般に皆さんが想像するようなものではなく、下方に釘を付けた松明(たいまつ)に火をつけ、敵の屋敷などに目掛けて手投げして打ち込み、明かりを灯したり、放火を目的とする投松明というもので、そうしたものを「手裏剣に打つ」と書いてあるのみです。
また、伊賀流のとある忍術の巻物にイメージ通りの星型の十字手裏剣や八方手裏剣の記載があるのですが、この巻物自体は表題に忍術と記されているものの、道具に関しては、ある武術の流派を引用しているものなので、手裏剣が忍者専用の武器として登場する訳ではありません。それでも関係性を示唆するものとしては重要な史料となっています。
また、基本的に武術においても手裏剣は棒状の棒手裏剣を指す場合が殆どで、忍者が使用するイメージのある星型の手裏剣は全体から見るとマイナーな道具になります。

手裏剣を使う忍者は嘘なのか
こうして語ると、忍者は手裏剣など使っていなかったとして、そうした忍者の姿は嘘なんだ!ということを簡単に言う人が出てきてしまうのですが、物事はもっと大局的に見るべきだと思います。
世界中で愛されるシュシュっと手裏剣を放つカッコいい忍者のイメージを、史実に基づいて断罪する必要はなく、歴史は歴史としてきちんと踏まえた上で、手裏剣も含めた忍者の姿を上手く表現に活かすことの方が重要だと考えます。
忍者文化は江戸の昔から、歌舞伎や講談の題材になったりと、フィクションと史実の両輪で成り立ってきました。
史実にも基づきつつ、大衆のイメージにも寄り添って、上手く立ち回ることこそ、まさに上級の忍術であると思うのです。
こうしたイメージと史実との忍者像の乖離は度々議論になりますが、そのギャップもまた忍者文化の楽しさの一つとして歴史に関心を持つキッカケになれば、忍者界の人間としては冥利に尽きる所です。
少なくともこれをお読みの忍者好きの皆さんでしたら、ご賛同いただけると思います。

