「名曲喫茶クラシック」の記憶を辿って(名曲喫茶でんえん編)
国分寺の名曲喫茶「でんえん」をたずねて感じる「クラシック」
中野駅北口、現在のサンモール商店街を進み、左へ少し入った路地に「クラシック」という喫茶店があった。名曲喫茶として知られたその店の記憶を辿るとき、東京・国分寺にある名曲喫茶「でんえん」は欠かせない場所として浮かび上がってくる。
国分寺駅の北口を出て、路地を3分ほど歩くと、時間の流れが変わる場所がある。でんえんは1957年(昭和32年)の創業。大正13年(1924年)に建てられた米蔵を増改築した建物で、開店当時からほとんど変わらない店内が今も残っている。

この店と中野には、ひとつの縁がある。内装のデザインを手がけたのは、クラシックの創業者・美作七郎だった。フルーツ皿と一升瓶の底で作ったシャンデリア、洗面器を使って作ったランプシェードなどは開店当時のまま、今も店内に残っている。やはりクラシックに縁のある阿佐ヶ谷の「名曲喫茶ヴィオロン」寺本さんにお話を聞いたところ、一升瓶を切る作業を寺本さん自身が手伝ったという。外の黄色に黒文字の看板デザインも、中野のクラシックに倣ったものらしい。



入口脇の看板には「クラシックと絵 でんえん」と記されている。音楽だけでなく、絵の展示もこの店のもうひとつの顔だった。近隣の武蔵野美術大学などの学生たちの作品展が開かれ、若い表現者たちを迎えてきた。


でんえんを創業した新井熙盛さんは、妻・富美子(ふみこ)さんと結婚してまもなく会社勤めを辞め、この店を開いた。二人を紹介して、結婚の仲人をしたのも美作さんだった。

熙盛さんは多趣味な人物で、経営が軌道に乗ると写真撮影などの趣味に打ち込み、店にはあまりいなかったそうだ。創業当初、美人のウェイトレスを揃えるよう勧めたのも美作さんだったという。その評判で店は賑わったとのこと。

昭和2年(1927年)生まれの富美子さんはお話を聞きに伺った時は98歳。ご主人が亡くなられてから50年以上、ひとりでこの店を守り続けてきた。今は娘の新井さんが店に立ち、富美子さんは入り口のそばに静かに座っている。

取材に伺った日も、富美子さんは入って右側の一段高くなった場所に座って、微笑んで迎えてくれた。昔のお話を少ししてくれたが、質問の応答は難しく、代わりに娘さんが語ってくれた。
戦後まもない頃、新橋の英会話学校に通い、市ヶ谷のGHQで通訳として約2年間働いたという。音楽楽団の指揮者の秘書も務め、当時の新聞にも掲載されたほどだった。「英語を使う仕事がしたかったんだと思います」と振り返る。

そしてなんと今も、週1回オーストラリア出身の先生からオンラインで英語を習っているという。「今も話しますけど」と、少し照れたように笑った。富美子さんが今も英語を学んでいるというお話を聞いて、お店が長く続いている理由もわかる気がした。
美作さんについて聞くと、娘さんの視点からのお話をしてくれた。
「父親を飲みに連れて行ってしまう人で、良い印象はないんですよ」。
子どもに優しい言葉をかけるような人でもなかった、と。クラシックに連れて行ってもらったこともあるが、暗くて怖かった印象が残っているそうだ。
美作さんをめぐる美談は、中野の名曲喫茶関係者の間でよく語られる。でも、立場が違えば見え方も変わる。確かに中野のとあるお店のママさんに、美作さんのことを聞いてみたら、妙なことをするおかしな人だったわよね、と笑いながら話してくれた。
店内には漫画家・永島慎二の写真も飾られている。永島慎二はかつてでんえんに毎日のように通い、ここで働いていたウェイトレスと結婚した。代表作『漫画家残酷物語』にでんえんを登場させたとも言われる。さいとう・たかをのゴルゴのフィギュアもある。「多分さいとうたかお先生からもらったんだと思う」と娘さんは言う。当時、でんえんは漫画家たちのたまり場でもあったのだ。

「さいとうプロダクション」は中野に拠点を置く
また、でんえんの常連客のなかに、俳優・竹中直人さんの名前がある。多摩美術大学のグラフィックデザイン科に在籍していた学生時代、竹中さんは国分寺に住んでいた。でんえんにもよく顔を出し、卒業後も通い続けてくれた、と富美子さんは振り返る。
のちに映画監督として、2023年公開の映画『零落』の撮影にあたり、竹中さんは「多摩美時代に住んでいた国分寺の街でも撮影した。この時のロケ地のひとつとして「でんえん」も使われたそうだ。

店内には年季の入った道具たちが息づいている。開店当時から使い続けているドイツ製のレジスターは今も現役だ。そのたたずまいが評価されて、竹中さんの映画以外にも、ドラマのロケ撮影に使われることもあるという。

「続けているのは生活のため。そんなにかっこいいものではない」——娘さんはそう言うけれど、98歳の富美子さんが入り口に座り続けているこの光景そのものが、長く続けることの尊さを静かに語っている。
メニューには「ミルクセーキ」がある。かつて帝国ホテルの村上信夫総料理長の直伝のレシピで作られている。現在帝国ホテルでは提供をしていないが、「でんえん」ではまだその味が楽しめる。タブレット純さんも、ここでしか味わえない「ミルクセーキ」のファンでだそう。

最近では、東京のカフェを紹介する韓国のYouTubeチャンネルにでんえんが取り上げられ、韓国からの来店者も増えているという。昭和の空気をまとったこの場所は、国境を越えて人を引き寄せている。2度目の取材に行ったときにも韓国のお客さんが来店していた。

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中野から電車で数駅。でんえんのドアを開けると、美作さんたちが作った時代の空気が残っている。
名曲喫茶 でんえん
住所:東京都国分寺市本町2-8-7
電話:042-321-2431
営業時間:13:00〜16:00
定休日:火・水・木曜日(確認してから行かれることをおすすめします)
アクセス:JR・西武国分寺線 国分寺駅 北口 徒歩3分
