中野暗渠探検〜みえない川をみつけにいこう
第3回 妙正寺川上高田支流
上高田で出会う「垂直の遺跡」
中野区内に眠る「みえない川」を探す暗渠探検シリーズも、今回で3回目を迎えた。今回のテーマは、圧倒的な「高低差」だ。複雑に入り組んだ地形が作り出す谷底や、それを守る巨大な擁壁を愛でながら、暗渠の深淵へと足を踏み入れてみよう。
まずは、この光景を見ていただきたい。


どうだろう、この見事な崖!これは早稲田通りに面した寺院の北側に位置する崖なのだが、実はこの石積みの一部には「墓石」が転用されている。現在は表面が白く塗装され判別しにくいが、10年ほど前までは、墓石に刻まれた模様や花立の穴が剥き出しのまま積み上げられていた。初めてこの擁壁に対面したとき、私は異国の地で未知の遺跡を発見したかのような錯覚に陥ったものだ。
そんなかつての事情を知らずとも、この「カミソリの刃」のように切り立った崖を目の当たりにすれば、中野の地形の険しさに胸が高鳴るはずだ。
地形図を見れば一目瞭然だが、中野区周辺は実に凸凹(でこぼこ)が激しい。

ここで改めて問いたい。この起伏は何を意味しているのか?
答えは「川」だ。この起伏は、かつて流れていた水が悠久の時をかけて削り取った谷の痕跡である。たとえ今、そこに水面が見えなくとも、地形そのものがかつての川——すなわち暗渠——の存在を雄弁に物語っているのだ。第1回の桃園川は①の谷、第2回の階段下の流れは②の崖。そして、冒頭の写真こそが③の斜面だ。西から東へと谷を深めていくこの流れは、我々暗渠愛好家が「妙正寺川上高田支流」と呼ぶ暗渠である。公的な文献こそ少ないが、古地図にはその確かな足跡が記されている。

この支流は、鋭い谷間を縫うように流れるため、道中には急峻な崖や迫力ある擁壁が次々と現れる。



さらに、かつての蛇行をそのまま残した道は先が見通せないほどくねり、谷底を這うように進む感覚は、日常から切り離された「非日常」そのもの。



これぞ探検の醍醐味、上高田の住宅街に潜む「秘境」(ほめてる)である。(※細く暗い道が多いため、薄暮から夜の時間帯に歩く際は、身の回りの安全にご注意されたし。そして近隣住宅へのご配慮も十分に)
消えた川筋に残された桃源郷
この上高田支流には、妙正寺川へ合流する直前で、もう一つの流れが合流していた。東光寺別院(上高田4-32-2)の桜ヶ池を源流とする流れだ。それをここでは「桜ヶ池支流」と呼ぼう。かつての池は現在の3倍近い広さを誇り、清冽な水がこんこんと湧き出ていたという。現在の姿に改修されたのは昭和29年。周辺一帯の耕地整理事業の完成を記念したものだ(『なかの史跡ガイド』中野区教育委員会 1989)。

興味深い資料がある。昭和18年の『中野区史』だ。上高田村の河川・用水の項を確認すると、本流であるはずの上高田支流についての記載はない。一方で、この桜ヶ池支流については「村内氷川神社(現村社)境内の櫻ヶ池から出づるものがある」と数行にわたって紹介されている。当時の地図にはどちらの流れも存在するが、水路としての存在感や地域住民への馴染み深さは、桜ヶ池支流の方が格段に上だったのかもしれない。
現在、周辺の開発によって桜ヶ池支流の痕跡はほぼ消失しているが、短い区間に一筋だけ残されている。その流路が、実に素晴らしい。そこには「侘び寂び」を体現したかのような、美しい蓋暗渠がひっそりと続いているのだ。



朽ちかけた柵の向こう、そのわずかな隙間から覗き見る光景は、あなたを「人知れぬ桃源郷」を見出した探検家のような気分にさせてくれるだろう。
そそり立つ擁壁、沈み込む谷底、迷路のような細道。そして街の隙間に姿を現す桃源郷。脳内にインディ・ジョーンズのテーマ曲を響かせながら、そんな街なかにぽっかり空いた「エア・ポケット」を探しに、上高田の暗渠へ繰り出してみよう。
<上高田支流マップ>
