新井白石の墓(あらいはくせきのはか)

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新井白石の墓(あらいはくせきのはか)
新井白石の墓(あらいはくせきのはか)

歴史・旧跡

  • 東中野/中野坂上 エリア

新井白石の墓(あらいはくせきのはか)

住所
東京都中野区上高田1-2-9

新井白石(明暦3(1657)年~亨保10(1725)年、満68歳没)は江戸中期の朱子学者であり政治家です。本名は君美(きんみ)、通称は勘解由(かげゆ)といい、白石は号です。 木下順庵に朱子学を学び、その推挙により徳川綱豊(後の家宣)の儒臣となります。宝永6(1709)年、家宣が将軍になると、幕臣として間部詮房とともに家宣を補佐。 正徳の治を開き、教学と政治の一致に努めました。主な事績として、武家諸法度改訂、貨幣改鋳、海舶互市新令の施行、儀式典礼の整備などが挙げられます。 学者としては、合理性と実証を重んじ、朱子学的思考と実践の結合した合理主義者で、日本古代史に合理的解釈を試み、外国事情にも意を用いました。著書には「藩翰譜」「読史余論」 「西洋紀聞」「采覧異言」「折たく柴の記」などがあります。

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