江古田古戦場の碑(えごたこせんじょうのひ)

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江古田古戦場の碑(えごたこせんじょうのひ)
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江古田古戦場の碑(えごたこせんじょうのひ)

歴史・旧跡

  • 新井薬師/江古田 エリア

江古田古戦場の碑(えごたこせんじょうのひ)

住所
東京都中野区松が丘2-35

哲学堂公園から野方6丁目に至る新青梅街道沿い一帯で、享徳の乱(1454~1482)の最中の文明9(1477)年、太田道灌、豊嶋泰経らが激しい合戦を繰り広げました。この合戦がおきたことを示す碑が、江古田公園に建っています。 享徳の乱は、古くからの豪族に支持された関東公方足利成氏と、太田氏が仕える関東管領上杉氏とが対立する中、結城・武田氏により管領上杉憲忠が殺害されたことがもとで起きました。この乱で関東は二分されました。そのとき江戸城を根拠地とした道灌は、武蔵国の領主たちを支配下にまとめて戦を有利に進める重要な役割を果たします。 ここでの合戦は武蔵野を開発してきた豊嶋氏に代わり、太田氏が武蔵野支配を確立する上で大きな意味を持っていました。