観光資源の情報 歴史・旧跡 東中野/中野坂上 エリア 堀江家の墓所(ほりえけのぼしょ) 住所 東京都中野区中央2-33-3 十二代重賢の徳川幕府への届出書によれば、越前(福井県)から堀江家の先祖・兵部が農民十数名とともにこの地に来て、弘治元(1555)年に中野の開発に着手した、とされています。当時関東を支配していた小田原北条氏から小代官に、閉幕後も歴代の当主は中野村の名主に任命され、有力な指導者となりました。 堀江家の業績により、中野村は次第に発展。その聞の村政及び幕府との関係文書は「堀江家文書」として東京都立大学に保管され、研究に供されています。 堀江家は将軍鷹場の村々への御用触次、青梅街道中野宿の問屋場役人、組合村寄場役人のほか、江戸城内への種物・なす苗の上納など各方面に事跡を残しました。明治以後の業績も大きく、中野区の発展の礎といえます。
十二代重賢の徳川幕府への届出書によれば、越前(福井県)から堀江家の先祖・兵部が農民十数名とともにこの地に来て、弘治元(1555)年に中野の開発に着手した、とされています。当時関東を支配していた小田原北条氏から小代官に、閉幕後も歴代の当主は中野村の名主に任命され、有力な指導者となりました。 堀江家の業績により、中野村は次第に発展。その聞の村政及び幕府との関係文書は「堀江家文書」として東京都立大学に保管され、研究に供されています。 堀江家は将軍鷹場の村々への御用触次、青梅街道中野宿の問屋場役人、組合村寄場役人のほか、江戸城内への種物・なす苗の上納など各方面に事跡を残しました。明治以後の業績も大きく、中野区の発展の礎といえます。