成願寺(じょうがんじ)

観光資源の情報

成願寺(じょうがんじ)
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歴史・旧跡

  • 東中野/中野坂上 エリア

成願寺(じょうがんじ)

住所
東京都中野区本町2-26-6

中国風の山門に目が惹かれる成願寺は、山号を多宝山と称し、曹洞宗のお寺です。600年ほど前、中野長者と呼ばれる鈴木九郎が夭折した娘を弔うお堂を建て、娘の法名をとって正観寺としたのが、今の成願寺のはじまりといわれています。 本尊は鎌倉期につくられた釈迦牟尼仏で高さ60㎝の座像、左右に文殊観音像を配しています。江戸時代に現在地に移設され、園通閣(百観音堂)、龍鳳閣(開山堂)などのお堂が建ち並んでいます。また、山手通りを挟んで第六天が祀られています。 成願寺では、四季折々の年中行事、坐禅・写仏・仏像彫刻の会などの活動も盛んで、広く門戸を開いています。 このほか成願寺には、中野長者にまつわる伝説が伝えられています。伝説によれば、財を成した中野長者は、人知れずその財宝を埋蔵しようと財宝を下僕に背負わせ出かけましたが、その秘密が漏れることを恐れて下僕を殺してしまいました。ところが長者が人を殺した報いによるものか、愛娘の姿は蛇身となり、その不幸に苦しんだ娘は自ら命を絶ってしまいました。長者は自らの行いを悔い、仏道に帰依したとのことです。 この伝説は、日本各地にある朝日長者伝説の流れを汲むもので実話ではありません。九郎と娘の遺骨は境内に祀られており、遺骨調査の結果、娘は14歳くらいの病弱な女性だったと判明しています。