観光資源の情報 歴史・旧跡 東中野/中野坂上 エリア 河竹黙阿弥の墓(かわたけもくあみのはか) 住所 東京都中野区上高田1-2-7 江戸末期から明治中頃に活躍した大劇作家、河竹黙阿弥(本姓吉村、二代河竹新七、1816~1893)の墓所が、上高田の源通寺墓地にあります。 黙阿弥は鼠小僧次郎吉を義賊にした作品をはじめ、「三人吉三」「白浪五人男」など盗賊を主人公とした生世話狂言で世相を写実的に描く近代演劇への道を開きました。しかし幕府が写実的傾向を禁じて勧善懲悪を奨励したため、作風の転換を強いられます。 その後、幕末・維新期の激動の中、江戸後期の歌舞伎の創作法を整理・集大成し、「真に江戸演劇の大問屋」と坪内逍遥に評されました。また作品は、四代市川小団次をはじめとする歴代の名優に演じられました。 明治41(1908)年、源通寺とともに黙阿弥の墓も浅草から移転しました。 ウェブサイト 河竹黙阿弥の墓(かわたけもくあみのはか) のウェブサイトへ行く
江戸末期から明治中頃に活躍した大劇作家、河竹黙阿弥(本姓吉村、二代河竹新七、1816~1893)の墓所が、上高田の源通寺墓地にあります。 黙阿弥は鼠小僧次郎吉を義賊にした作品をはじめ、「三人吉三」「白浪五人男」など盗賊を主人公とした生世話狂言で世相を写実的に描く近代演劇への道を開きました。しかし幕府が写実的傾向を禁じて勧善懲悪を奨励したため、作風の転換を強いられます。 その後、幕末・維新期の激動の中、江戸後期の歌舞伎の創作法を整理・集大成し、「真に江戸演劇の大問屋」と坪内逍遥に評されました。また作品は、四代市川小団次をはじめとする歴代の名優に演じられました。 明治41(1908)年、源通寺とともに黙阿弥の墓も浅草から移転しました。