中野町役場跡(なかのまちやくばあと)

観光資源の情報

中野町役場跡(なかのまちやくばあと)
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中野町役場跡(なかのまちやくばあと)
中野町役場跡(なかのまちやくばあと)

歴史・旧跡

  • 東中野/中野坂上 エリア

中野町役場跡(なかのまちやくばあと)

住所
東京都中野区中央2-33-3

中野の古刹でもある宝仙寺。その境内には3重の塔をバックにして立派な石碑がたっています。そこにはよく見ると「中野町役場」の文字が刻まれているのですが、明治時代から昭和初頭まで、中野町役場が、その後中野区役所がこの宝仙寺境内に置かれていたそうです。 中野町(なかのまち)とは、かつて東京府豊多摩群に存在した街の一つで、明治30(1897)年に生まれました。現在の中野区の南部にあたる地域で、現在の地名では、中央、中野、本町、南台、弥生町、上高田の一部にあたります。明治時代中期まで青梅街道沿いを中心として産業が発展し、甲武鉄道の開通、中野駅ができると、徐々に住宅化が進み、さらには関東大震災以降、市街化が進みました。産業化と言えば、中野には現在でも様々な伝統工芸の工房があるのですが、当時、江戸の中心部から人々とともに職人も移ってきたと言われています。その後、昭和7(1932)年には、中野町、野方町が合併し、東京市中野区となりました。

ウェブサイト
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