中野暗渠探検〜みえない川をみつけにいこう

中野暗渠探検〜みえない川をみつけにいこう<br>第4回 写された桃園川の現在位置をみつけにいこう

中野暗渠探検〜みえない川をみつけにいこう
第4回 写された桃園川の現在位置をみつけにいこう

文:暗渠マニアックス

2026.07.25

古い写真を使っての探検

これまで、3回にわたって中野区内の暗渠を紹介してきた。暗渠の味わい方はさまざまで、現地で宝探しのように探検することもたのしいし、川だった時代の物語を知って今の景色に奥行きを与えることもおもしろいと思う。
今回は、中野区に残されている桃園川の昔の写真を使って、その場所を特定し、現在の風景と比べてみる、ということをしてみよう。机上の探検と現地の探検の合わせ技だ。

まずは、この写真。

昭和37年に撮影された「護岸改修された桃園川」(中野区ちいきの写真館より)

これは実は筆者が気に入っていて、ずっと待ち受けにしている写真である。
だから当然(?)、どこで撮影されたかはわかっている。中央4丁目の、三味線橋付近だったはず。早速行ってみよう。
かりにもとの場所を知らないとしても、この地点は桃園川の中でも比較的特徴がある場所だ。川の横に沿う道が存在しており、加えて、川がカーブしていることがヒントになる。たぶん、ここだ。

一軒一軒の家は新しくなっているものの、家の並びと川の角度等が一致する

概ね合っていることがわかるだろうか。
撮影者はおそらく、上町橋の上に立ち、下流側を見ていたと思われる。写真の奥に、三味線橋がかかっている。

現在桃園川緑道の橋跡に施されている装飾は暗渠化後のもので、実際に川が流れていた頃の欄干はもっと地味だった

次の写真に行ってみよう。次は、これだ。

昭和34年5月撮影。場所は「宮前通2丁目」とある(中野区ちいきの写真館より)

これは1枚目よりもさらに特徴的だ。なぜなら、桃園川がS字に蛇行しているから。実はこういう場所は中野区内にはほとんどなく、地図から中央2丁目57のあたりと推測できる。

これは桃園川緑道上に設置されている地図だ。S字カーブと思しきところに筆者が赤丸をつけた

桃園川沿いカフェとして重宝している、モモガルテンの付近だ。
このS字カーブは上流から見ても下流から見ても同じような形状なので、撮影位置を特定するにはさらなる情報が必要となる。古写真をよく見てみてほしい。

右と左で護岸の高さが異なることに気づかれただろうか。このあたりでは、南側の方が地面が高くなっているため、おそらく、上流から下流を見ているものと推測できる。では現地に行ってみよう。

カーブがきれいに重なって気持ちがいい。モモガルテンの建物が今は写り込んでいるが、古写真では植栽の奥に隠れているようだ

というわけで、古写真では、モモガルテンのやや上流から堀越学園の方向を見ているのであった。

この写真にはひとつ、不思議な点がある。
川が流れている時代、川の写真を撮るときには基本的に撮影者は橋の上にいるものだ。しかしながら、この撮影場所付近に橋はない。

先ほどと同じ緑道の地図。今度は前掲写真の撮影位置に赤丸をつけたもの

一番近い橋である慈眼堂橋から撮ると以下のようになってしまい、カーブの奥まで見通すことはできない。

慈眼堂橋上から下流を見た現在写真。奥の黄色い壁の建物は先ほどの写真と一致する

つまり、先ほどのS字カーブの写真は、川が流れているのに橋ではない場所から撮られているということになる。護岸からめちゃくちゃ身を乗り出しているか、はたまた、川の上に臨時の構造物があってそこに乗ることができる状態であるか。

昭和34年当時の桃園川は汚濁がひどく、落ちたらどれだけ汚れるかわからない。そのようなところに、こんなに身を乗り出して写真を撮る区役所職員がいるとはちょっと思えない。同年同月に発行された中野区報を確認すると桃園川改修の記事とともにこの写真が載っていることから、後者であろうと推測できる。そうすると、この写真は開渠時代の桃園川を撮るにしては非常に珍しい構図であり、奇跡の一枚と言ってもいいかもしれない。もしかすると、当時の区役所職員も「今ならあのS字カーブの写真が撮れる!」と嬉しく思ってわざわざ駆けつけたのだったりして……。

さて、次の写真に行ってみよう。

「川底さらい」というタイトル。昭和37年2月27日撮影(中野区ちいきの写真館より)

ちょっと難易度が上がる。
まず、桃園川が直線的なので、川の形からの特定は難しい。
後方に橋が見えるので、これはヒントになる。また、橋のあたりで川は少し曲がっている。

目印となりそうな建物はないが、右側に道があるのは珍しいためそれもヒントになる。
中野区内で桃園川に道が沿っている場所は、「新渡戸記念中野総合病院の脇」と「三味線橋上流」と「宮前公園脇」と「中野中央2アパートの裏」のみである。この写真と地図とを照合すると、「新渡戸記念中野総合病院の脇」「三味線橋上流」は道の伸び方が違うため除外する。そうすると、「宮前公園脇」と「中野中央2アパートの裏」が残される。

次に、撮影日と近い中野区報を探す。昭和37年3月15日発行の中野区報に「ブルドーザーで川底さらい」という記事があり、神田川での川底さらいを子どもが見つめる写真が載っている。この記事によれば、桃園川の川底さらいの対象となったのは「宝仙橋〜三味線橋」ということだ。ということは「中野中央2アパートの裏」は宝仙橋より少しだけ下流なので除外され、「宮前公園脇」が残る。現地に行ってみよう。

宮前公園から上流を見るように撮った。この位置にも橋はないので、撮影者は護岸の上にカメラを置いて撮ったのかもしれない

建物はどれも変わっているのだが、写真奥の川沿いの建物(現在は鳥公商店さん)がよく似ている。また、その手前に金渓橋が架かっており、位置が同じである。ここで合っている、と思える。

暗渠化後の写真の現在地も見にいく

桃園川は暗渠化された後、すぐに今のような緑道になったわけではない。実は暗渠化直後の写真も今とは風景が違うので、少しだけ紹介してみたい。

暗渠化後の桃園川公園。昭和50年3月25日撮影(中野区ちいきの写真館より)

桃園川がカーブしており、その角に建物がある。また、川沿いに道がある。ということは先ほどと同じやり方で場所をある程度絞ることができる。
中央2丁目23ではないかとアタリをつけて現在地に行ってみると、そこに写真と同じ風景はなかった。第二候補と思っていた宮前公園から下流を見る位置に行ってみると、このような風景があった。

宮前公園の樹木で視界が悪くなってはいるものの、前掲の写真とよく似ていることがわかるだろうか

ああここだったのか、と腑に落ちる。
古写真と現在の風景を何度も見比べて気がついたが、角に建つ民家が当時と同じなのだ。窓の位置、屋根の形……、同じだ。それだけでこんなにも嬉しくなってしまうのは何故なのだろう。

もう一枚、暗渠化後の写真をお見せして最後としたい。

暗渠化された桃園川の上に遊具があり子どもが遊んでいる。昭和50年3月25日撮影(中野区ちいきの写真館より)

ひとつ前の古写真もそうだが、昭和50年時点での桃園川は緑道ではなく公園で、ブランコやすべり台などの遊具が置いてあったことがわかる。子どもの多い時代だ。毎日、子どもがたくさん集まってきただろう。

さて、この写真にも大きな特徴がある。暗渠化された桃園川に向かっていく形で店舗が並んでいる。開渠の時代にはなかったはずの光景だ。そして、その店には筆者も見覚えがある。
手前が牛乳店で、その奥に居酒屋やまとという文字がかろうじて読み取れる。ということは、ここだ。

三味線橋を上流から見たもの、すなわち古写真一枚目と同位置だ

居酒屋やまとには入ったことがある。金魚やドジョウの飼われる水槽があって、桃園川の雰囲気を継承しているようで好ましかった。その後閉店され、そして建物も無くなってしまい、現在は駐車場になっている。

2013年に「やまと」で飲んださいに撮影した写真。両隣も居酒屋だったがすでに廃業していた

暗渠古写真探検を経て気づくこと

こうやって場所の特定をしていくと、気づきも生じる。
たとえば、最後の写真は最初の写真と同じ、三味線橋を上流から見た位置で撮られていたということがわかった。その2枚を見比べると、昭和37年と昭和50年では異なる建物も出てくるのだが、右岸側の建物には同一のものも複数ある。三味線橋の下流側は、二軒並んで変わっていないように見える。特に、通りに面した建物はこんにゃくなどを扱うカネナカ食品といい比較的最近まであったため、覚えている人もいるかもしれない。

その前に載せた暗渠化後の写真は宮前公園で撮られていて、川底さらいの写真も実は宮前公園ができる前の場所で撮られていた。なんの偶然か、向きは逆だが撮影位置はほとんど同じ。13年もの間があるので、同じ撮影者かどうかはわからないが、ここまでの事実から、どうやら「写真を撮られやすい場所」というものがありそうだ、と思えてくる。

昭和11年から昭和43年までの間、中野区役所は現在の中野郵便局の場所にあった。
開渠の桃園川を撮るときには、中野郵便局の場所が撮影者の出発場所となるはずだ。区役所からすぐのところに桃園川はあったのに、実は区役所付近ではほとんど撮られていない。

東京時層地図((一財)日本地図センター)より、高度成長前夜の中野五差路付近

中野五差路の桃園川もカーブはしているが、中野通りは人通りが多いから、撮影向きではなかったのかもしれない。そのためか、撮影者はカメラを担いで下流方向に向かい、さらに、ある程度遠くても屈曲部などの写真映えする位置まで行っていたであろうことも推測できる。そうした結果、撮影場所が重複する場合があるということは、なんとも興味深いことである。

おまけ

以下は、ヒントがなさすぎて場所の特定ができず“お手上げ”となった写真たちだ。

桃園川暗渠化中、蓋を設置しているところ。昭和39年撮影(中野区ちいきの写真館より)
暗渠化後の桃園川公園にて、遊具で遊ぶ子どもたち。昭和45年頃撮影(中野区ちいきの写真館より)

お手上げ写真について、もしもご記憶があって大体の位置がわかる方がいらしたら、ぜひ教えてください。

このコラムについて

ライター 吉村 生(よしむら なま)

深掘型暗渠研究家。本業の傍ら暗渠探索に勤しみ、暗渠のツアーガイドや講演なども行う。郷土史を中心とした細かい情報を積み重ね、じっくりと掘り下げていく手法で、暗渠の持つものがたりに耳を傾けている。
髙山との共著に『まち歩きが楽しくなる 水路上観察入門』(KADOKAWA)、『暗渠パラダイス!』(朝日新聞出版)、『暗渠マニアック!増補版』(筑摩書房)、『「暗橋」で楽しむ東京さんぽ 暗渠にかかる橋から見る街』(実業之日本社)、『全国暗渠観光ガイド』( 学芸出版社)など。

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